2022/08/07 『スイミングで得た学び方』の学び


6月の振り返りはあまり覚えておらず書かなかった。7月も同様でほとんど覚えていないので、書けない(8月はちゃんと記録取る)。今回は最近の学びをしたためる。

 

『スイミングで得た学び方』の学び

7月末からスイミングを定期的に始めることにした。減量を目的にランニングをしていたが、膝に痛みを感じ、続けることが難しくなったため。元々水泳は得意ではなく、候補に挙がらなかっただけというのが本音のところ。ただ減量を目的にした運動では最も効率的、となかやまきんに君も言っていたのでこれを機に上手くなりたいと思っている。

 

約10年ぶりに25mを泳いで最初に感じたことは、キツすぎて続かないということ。500mをノルマにしていたが、これは無理だなと感じた。そんな自分を尻目に、一緒に来た妻は25mを軽やかにターンし、50mを泳ぎ切っていた。その上、インターバルが一定で疲れ知らずかといったところ。

 

初日は溺れそうになりながらも450mを泳いだ。ランニングを毎日5kmしていたが、比にならないくらいに疲れた。妻も含め、常連はずっと泳ぎ続けてられているので、自分の泳ぎ方に何かしら問題があるのだろうと思った。おじいちゃんおばあちゃんより心肺機能が弱いわけがないということくらいは分かる。

 

そう思って、3日も空けず、また妻と来た。妻に、自分の泳ぎ方がどう見えるか聞いてみたところ、"足が下がっているように見える、そしてバタ足が激しいから、もう少し力を抜いてみたら"と言われた。確かに、何事も力みは基本作法と反対の結果を生むから、とりあえず力を抜いてみることを試してみた。

 

肩の力を抜くことで、浮くという動作ができたように感じた。力いっぱいに腕をかかずとも、簡単に前を進むような感じ。そうすると、視線は真下を向くようになる。これが自分にとっては驚きだった。常に泳ぐ先の壁に視線をおいてたが、そうではなく真下を見るのが正しく、妻もプール底の目盛りで距離を把握しているという。それぞれ泳ぎ方はあると思うけど、この違いでこんなに変わるというのは新鮮な気付き。

 

これまでの自分の泳ぎは、腕かきとバタ足をとにかく強くすることを意識していた。言い換えると、力みのせいで足が低くなるような体勢になりやすく、その低さを解消するためにバタ足が強くなっていたのである。効率の悪いエンジン。

 

もう一つ息継ぎにも問題があった。

観察していると、妻や常連らは息継ぎの回数が少ないということに気づいた。多くとも4クロールに1回のサイクルで息継ぎをしていた。自分は2回に1回。

 

妻に確認してみたところ、2クロールに1回だと泳ぎが安定しないとのこと。試しに、息継ぎせずに泳いでみると、推進力が違うことに気づく。特に3・4クロール目の時の進み具合が違う。

 

なるほどと思った。力み加えて、2クロールに1回の息継ぎをしていたから、あまり進まないし、何よりエネルギーの消耗が激しかったのだと。

 

そう気づいてから、力を抜いてしっかりと浮き、4クロールに1回の息継ぎを意識して練習を始めた。結果、4クロールに1回の息継ぎをリズミカルにやるにはもう少し練習が必要ではあるが、これまでより楽に前に進める事ができるようになった。

 

シンプルに上達することの嬉しさ楽しさを感じた。

 

そして、この経験から痛感したことは、上達するためには

 

とにかくやってみること

 

の重要さ。準備はせずとも飛び込んでみることで、

  • 自分の現状を知ることができる
  • 上手な人と自分の差を知ることができる
  • すぐにその差を埋めるための訓練ができる

という上達のためのサイクルが効率良く回りだす。

 

何かを始めるに当たり、自分に向いているかどうかを考えたり、やる前から効率的に行うための方法を読書やネットで調べたりする方法があるが、『とにかくやってみることに越したことはない』のではないかと言葉にすれば当たり前のようなことを学んだ。特に社会人になってからの自分は、何かをやる前にそういった習慣があったように思う。

 

この学びは最近始めたキャンプにも活きた。何かと準備するものが多く、テント設営やBBQの火起こしが億劫でキャンプにあまり良いイメージが持てていなかった。しかし、まずはキャンプ場に行ってみて、それとなく過ごしてみる。すると、火起こしが下手でもっと上手くやるにはどうすればいい?自然が素敵でそこで涼むためにテント欲しいなぁといった感情が湧いてくる。やってみることで、ピンポイントで自分自身の不満ポイントをなんとなしに理解できる。次はもっと上手くやるために、動画やネットで知識を得ていく。

 

社会人になり数年も経つと、何となく続く日々に何となく不安を覚えて、ニーズのある職種なるものに触発され、何かしなければならないと焦りを覚えるもの。でも、それは自分が望むものなのかとか、やってもいないことの可能性をぐねぐねと考える。

 

自分もその一人で、そんな自分に言えるのは、考えることも大事だけど、とにかくやってみたらということ。元々は何もなくて、何となく興味を覚えるもの、人よりうまくできそうなものの海に飛び込み溺れそうになりながら何かを獲得し、上達させてきたらこそ今の自分がある。これは年齢とか関係なく、これからも変わらずに同じなんだと思う。

 

やや大げさな結論になってしまったが、この経験からの学びを大事にして、日々生きていきたい。